広島高等裁判所岡山支部 昭和42年(う)59号 判決 1968年12月10日
控訴人 原審検察官
被告人 下谷只男
検察官 浜健治郎
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は記録編綴の岡山地方検察庁津山支部検察官検事須田滋郎作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
所論は、要するに、原判決が公訴事実どおりの外形的事実を認めながら、なお、詐欺罪にいわゆる被欺罔者の財産上の処分行為が認められないとして無罪の言渡をしたのが重大な事実の誤認に当るというのである。
そこで記録ならびに当審における事実取調の結果を総合して検討するのになるほど、本件においては、原判決が要求するいわゆる処分行為と目されるべき行為の存在することはまさに所論が詳細論述するとおりであつて、原判決のその点に関する事実の認定の誤つていることはまことに明らかというべきである。
しかしながらそれにもかかわらず、当裁判所としては本件について所論の罪が成立するとすることにはなお幾多の疑義を解消することができない。
先ず第一は所論の詐欺罪の法益の問題、つまり同罪は単に私的、個人的な法益としての財産的法益に対するものに限られるか、はたまた本来の国家的、社会的法益に向けられたものをも含むかという点についてであるが、この点に関しては未だ学説、判例の一致するところとならず、所論の逋脱犯と詐欺罪の関係その他について種々意見の分れるところとなつている現状であり、当裁判所としても多分に疑念を有しないわけではないが、おおむね本来の国家的、社会的法益に向けられた詐欺的行為は詐欺罪を構成するものではないと解するのを相当と解するところ、本件における土石採取料の法的性格は、現行法規(本件所為の当初において施行されていた明治二九年四月八日法律第七一号、以下旧法または旧河川法という、を含む)上は右のいずれに属するか必ずしも分明ではないが、その解釈上は、次に述べるごとく、ほぼ後者の国家的・社会的法益に属する費用であるとの説が確立せられるに至つており、所論の罪の成立を認めることには多大の疑念が存在するものといわなければならないのである。
すなわち、昭和三三年一二月三日法律第一七三号による改正前の旧河川法当時においては、河川の土石の採取ならびに採取料の徴収および帰属については明確な規定がなく、その採取についての第一九条、採取料の帰属についての第四二条第二項の規定が存するにすぎなかつたため、これらの規定の解釈上、右土石は先ず第一九条の許可によつて河川から分離されると共に、第四二条第二項の規定によつて都道府県の財産となり、次いでこれを右の許可処分とは別個の公物の管理者と私人間の払下に関する契約によつて採取者に払下げられるものであるとの解釈が一般に行われ、その必然の結果として該採取料は当該土石の代償として納入を命ぜられるものであつて、同条の使用料のごとく公法上の収入と認められるべきものではなく、専ら私法上の契約に基くものであり、従つて右の使用料のごとく同法第五五条の国税徴収法による強制徴収もなし得ず、通常の民法上の手続きによつて強制する外はないものと解されていた。しかしその反面、立法論としては、港湾法、海岸法などと同様に河川生産物の採取についての独立の規定を設け、採取料についても公法上の収入としてその徴収、帰属の規定を設けるべきであるということが要望されていたことや(建設省河川研究会編河川全集第二巻河川法)、昭和三二年一〇月一五日最高裁判所において無許可の砂利の採取が窃盗罪に当ることを否定されたことなどが契機となつて、前記改正の際、同法第一七条の二および第四二条にその旨の規定が加えられるとともに、その違反に対する罰則が強化され、同時にその採取料に対する解釈も、従来の許可と払下契約に基づく土石の対価料という考え方から、これを一括した特許処分に対する費用(土石の採取が、公共の費用によつてまかなわれる河川を排他独占的に使用するため管理費用を増加させるので、その費用の一部をその者から徴収して負担の公平を図るというのであり、純然たる公法上の金銭債権と解されている)という考え方に改められ、更にその基本的態度はそのまま新河川法(昭和三九年七月一〇日法律第一六七号、以下新法または新河川法という)にも引き継がれ、現在では、その採取料の額の決定等必ずしもその実際の運用については全面的に右の考え方で統一処理されているわけではないけれども、もはや右の費用を納入させるという報償説の立場が通説的見解となるに至つているところだからである(建設省新河川法研究会編、逐条河川法)。
従つて、確に所論のように右採取料の法的性格は、沿革的には河川生産物払下代金の性格をもち、また実際の料金の決定に当つても未だ砂利、砂、土砂、栗石、転石、割石等の種類によつて単価を異にし、あたかも前記のように右土石等と対価的なものとしての処理、運用がなされている面のあることも否定しがたいところではあるが、右の改正の経過および前記徴収に関する規定の変遷などの諸般の事情にかんがみると、そのことをもつて直ちに右採取料が所論のいうように採取土石の対価料で、専ら私的、個人的法益にかかるものであると即断することは許されず、所論の罪の成立を認めることもまた甚だ疑問といわなければならないのである。
そのうえ、事を実質的に観察しても、本件行為の行われた旧法当時、土石の無許可採取は一年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処せられることとなつていたが(同法第五八条第一号、第一七条の二)、新法においては、その採取行為自体については罰則規定はなく、土石等の採取に伴つて必然的に生ずる土地の掘さくその他土地の形状を(無許可で)変更する行為が河川の管理上支障があるということで、同法第一〇二条第三号、第二七条第一項によつて右と同様一年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処せられるにすぎなくなつたため、土石の(無許可)採取自体は特別の事情がないかぎり前記判例により窃盗罪を構成することもなく、いわば許された放任的行為と解するの外はなくなつたのであるから、もし所論のように本件において詐欺罪が成立するものと仮定すれば、右のようにいずれにしてもその基本の無許可採取行為自体が不可罰もしくはせいぜい一年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金という極めて軽い罪でしかあり得ないのに、当然それよりも軽いものでなければならない採取の許可を受けた者の、しかもそれが無許可採取の場合であればその無許可採取の必然的結果で、いわばその不可罰的事後処分にも匹敵する。採取料金の免脱行為が、その基本の無許可採取行為以上に重く、詐欺罪として一〇年以下の懲役に服さなければならないということとなり、その刑の不均衡は、いかにしても吾人の法感覚に合致するところとならないのである。
所論は、仮りに右土石採取料の性格が土石の対価的なものでなく、租税類似の公法上の公課であると仮定した場合でも、租税の免脱が詐欺罪を構成しないのは、他の各種税法にこれを処罰する特別の規定があるからにほかならないのであつて、本件の場合はこれと事案を異にし、詐欺罪以外にこれを処罰する規定が存在しないから、詐欺罪によつて処罰する以外に道がないというのであるが、右の租税の詐欺的逋脱行為が詐欺罪を構成しないのは、ただに所論のような理由からではなく、前記のごとき詐欺罪ならびに逋脱罪の本質的な性質に由来するものと考えられるのであつて、本件の場合においても何らその理に異るところはない。ただ本件の場合、河川法上に各種税法の逋脱犯のごとき特別処罰規定が設けられなかつたのは、同法がその違反行為を右の逋脱犯のように重大視せず(新河川法が前記のように土石採取料免脱の基本ないし主体的行為ともいうべき無許可採取行為について、ことさらそれ自体に対する罰則の規定を廃止してその可罰性を否定していることに、その端的な現われを認めることができる)、同法による他の強制徴収もしくは許可の取消による間接強制、ないしは原状回復命令等の措置により十分その目的を達し得ると考えたからに外ならないものと考えられ、同法にそのように特別の処罰規定を設けなかつたそのことこそが、とりもなおさず、所論のごとく詐欺罪成立の道標を示すものでなく、むしろ、そのような詐欺罪の成立は勿論、本件のような他のそれ以下のより軽微ないかなる行政罰違反の罪をも成立させるものでもないことを簡明直截に表示しているものと理解すべきものと思われる(このことは河川法と相似通つた港湾法の第四四条第五項に、特に詐偽その他の不正の行為によつて料金の徴収を免れた者に対する特別規定を設けていることと対比しても、ある程度そのことを推量することができよう)。それを所論のように、他に処罰すべき規定が存在しないから所論の罪で処罰する以外に方法がないなどというのは、まさに所論のいう本末転倒も甚だしいものといわなければなるまい。
のみならず、仮りに十歩を譲り、右の採取料の法的性格が所論のとおりであつて、その免脱が一応所論の罪を構成するものと仮定しても、少くとも当該許可の区域および数量の範囲を超えて不法に採取した土石等については、たとえ採取許可を受けた者の採取ではあつても、それはその許可の範囲外のものであつて前記無許可採取と同等であるから、所定の採取料金を徴収することを得ないものであることは、当審証人青山滋美、同山本正彦の各供述、原審証人清郷博人の原審における供述記載および土木部河川課長より土木事務所長宛「土石採取許可に伴う河川法上等の解釈について」と題する文書の写等によつて明白なところであるから、その部分についても詐欺罪の成立があるとする起訴部分の失当であることは言をまたないところであるが、本件においては更に、被告人は岡山県砂利採取販売協同組合または岡山県北部砂利採取販売協同組合の一員として本件河川敷内の土石採取の許可を受けてはいるが(従つて本来はその採取の許可を得ているものは右各協同組合であり、許可の効果は当該組合に帰属し、その当然の帰結として採取した土石等はその組合の所有に帰し、その販売、利益の享受および採取料の負担等もあげて右組合において処理すべきものであつて、被告人は単にその構成員として採取のための事実行為を行い、利益の配分にあずかるにすぎないものであるが、その実際面においては、採取の許可も個々の業者ごとに場所を異にして与えられその現場に関する限りにおいては、当該業者が現場責任者として土石の採取は勿論、その販売ならびに利益の享受、採取料金の納入などその一切の行為をそれぞれ他と別個独立してこれを行い、前記各組合はただ単に形式的にそれら各業者の河川管理官庁との許可その他の申請、報告等の連絡とりまとめ等を行つているにすぎないことが認められるので、その採取の許可は、当該各組合というよりはむしろ被告人ら各業者個人においてこれを受けているものとして取扱うのを相当と解する)、その採取の実体をみると、同人には当初からその許可の数量に従つて採取する意思などは毛頭なく、全然これを無視して全く恣意的に本件土石の採取を行い、その実績報告も単にその一部約一割程度のものを選択的に選び出して形式的に報告しているにすぎないことが記録によつて明白であるから、その行為を全体として卒直に考察すれば、それがいかに右のごとく許可を受けた者の、許可数量内の、一応許された採取行為をともなつても、その採取行為は、もはや、許可を受けた者が、その許可の範囲内のものを、許可の条件に従つて正当に採取し、ただ単にその採取料金を免れるために過少の報告をしたというに止まらず、むしろそれは、当初からそのような許可の条件に従う意思なく、不法に多数の土石を採取して、その違法行為を粉飾するため形式的にその一部分の報告をするというに等しく、当該報告にかかる部分はともかくとして、その余の不申告の土石の採取は、たとえ形式的には許可数量内の許された土石採取であつても、もはやそれは正当に認められた適法な土石の採取とはいいがたく、全体として不法、無許可採取の性格を帯びるに至るものというべきである。
そうすると、前記のごとく本件において一応詐欺罪の成立が考えられる、許可の数量内で実績報告を行わなかつた部分についても、不法採取としてその実績報告を要しないことは前記無許可採取行為の場合と同一であつて、その当然の結果と解せられるから、河川法の規定(旧法第二〇条、新法第七五条第一項)による原状回復義務もしくは採取料金相当額の損害賠償の問題、ないしは他の河川法上の規定(旧法の第一七条の二、第五八条第一号、新法の第二七条第一項、第一〇二条第三号)による処罰の可能性はあつても、所論のようにその(不法)採取量の報告ないしは採取料金免脱の問題は起り得ず、従つてまた所論のごとき詐欺罪成立の余地もないものといわなければならない。
そして検察官においては、右の詐欺罪以外の他の法条による処罰を求める意思のないことは、その論旨自体からみても明瞭なところと思料されるので、結局本件は以上いずれの理由よりしても罪とならないものというの外なく、これと結論を同じくする原判決にはひつきよう所論のような違法はないことに帰し、論旨は結局理由がないものといわなければならない。
よつて、刑事訴訟法第三九六条を適用して本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺雄 裁判官 石田登良夫 裁判官 岩野寿雄)